恋について。幸せはどこにあるの、と思ったら。

恋について。幸せはどこにあるの、と思ったら。

昔、つきあっていた恋人に言われたことがあります。何気ない気持ちのすれ違いが、大げんかに発展したあと。

「きみは、不幸な恋愛を望んでいるんじゃないか?」

そのことが私はずっと引っかかっていました。そのあと穏やかにつきあって、私の方から別れを切り出してからも、ずっと。

考えてみれば、映画にせよドラマにせよ、メディアには悲恋が満ち溢れています。病気になって相手が死ぬ、身分違いで認めてもらえない、浮気する/される、不倫関係である、許されない関係である……。その悲恋度が高ければ高いほど泣けるわけで、売れるわけです。『冬ソナ』ブームは、『失楽園』ブームは、さかのぼれば『ロミオとジュリエット』は、私たちの深層心理に深く強く刻まれています。

あるいは、著名人の恋愛・結婚スタイルにも、私達は何かしら意味を見出そうとしがちです。岡本太郎と、妻としてではなく添い遂げ続けた岡本敏子。吉行淳之介に思いを寄せる宮城まり子。30年間別居しながらも夫婦でいる樹木希林と内田裕也。

ただ、そうした情報の洪水の中で、絆や愛といったものは、苦労した分強くなる、磨かれていくといった幻想に、私達はとらわれがちなんじゃないだろうか、と思うのです。無意識レベルでね。

とまあ、占い師になるまではいろいろありまして。で、運命学的なこと、実体験、もろもろを含めて考えるに……

この「ここを乗り越えてこそ愛が深まる」的な思い込みをやめるといいかも、と、思っています。現に、こうアドバイスした方からは、恋愛成就とか結婚とか、夫婦仲が改善したとか、伺っています。

「ここを乗り越えてこそ」発想をすると、争いになります。ガチンコでやりあって答えを出そうとしますから。そしてそれは大抵、「私の理屈を通したい」「あなたはまちがっている」という意識がはたらくのです。

「ここを乗り越えてこそ」発想を捨てると、優しくなれます。それは放置する系の関心のなさでなく「ゆっくり解決しよ♡」といった感じです。

また、自分の幸せについてもーーたとえば恋をしても不倫ばかりとか、振り回されてばかりとか、我慢ばかりとかーー冷静になれます。つまり、「ここを乗り越えてこそ」と思うと、それ以外の選択肢を見失ってしまうんですよ。もっと幸せになる道があるとか、ただのセフレじゃなくて本当の恋があること、とかね。

乗り越えたい人は乗り越えればいいと思います。そこで得た愛は、どんなにか強く素晴らしいものでしょう。でも全員が乗り越える必要はないし、その試練が実は、別の出会いの存在を示唆しているかもしれません。

一度、相手が誰かを問わずに「私は幸せになる」って決めると、思わぬ方向から“乗り越えなくても幸せな愛”がやってきたりします。これはほんとうの話。私の実体験でもあります。外見とか年齢とかにとらわれて自信がなくっても、大切な誰かに思いを残していても大丈夫。きっとうまくいきます。幸せになるって決められるのは、自分だけだものね。

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